岩手県奥州市の漢方相談の店|くすりのオーパ

女性の日本漢方協会認定漢方相談士による漢方相談専門店、くすりのオーパです。子宝相談やその他慢性疾患など、トータルで地域の健康をサポートしています。

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くすりのオーパ徒然「コロナ自粛とひとの命」

緑したたる季節、青葉の香りも清々しい五月、お出かけもままならずウツウツしている方も多いかと思います。

私は案外、苦にならず、です。

幸い店もあり、どうやらオタクだったらしく、本を片手にのんびりとラッキーのポワーンとした目に、ホッコリ癒されながらの日々。
それでもやはり人との交流もなく、新しい発見もなく、人生に彩りが少なくなってきている。

一日も早くこの重苦しい世界から抜け出したいものです。

それにはまず、気力体力、さらに気力体力!!

それにしても、今朝のテレビを見ていたら力の抜けるお医者様の発想に、年寄りの部類に入る私は口が開いたままになった。
コロナで重症になった年寄りは、若い人のために医療器具の使用を譲るカードを提案したとか。

年寄りは長く生きたのだからその命、譲って下さいと言う。

なんと医師のストレスを減らすためと言う。(医療現場の従事者にはそれは本当に頭が下がるが)

そういえばガンの告知にしても、「あと何か月しかもたないですよ」と言う方はストレスが減るかもしれないが、宣告された方はカタカタと生きる力を失う。
希望は持ちたい。
家族だって少しの望みはもたせたい。

そもそも世界に比べても年寄りの多い国のはずなのに、日本のコロナの死者は少ない。
文化がそうさせるのかと思います。
(人前でハグ、食い橋でとることが少ない・・・今はちょっとあやしいが・・・)

一汁三菜、早寝早起き、畑をやり、草取りをして、と年寄りほどよく動く。

80歳、90歳まで生きても命の質は若い人より良い気がする。

人間の遺伝子の30%はウイルスと菌が由来だという。
古代から人間とウイルスは共存して暮らしてきた。

群れとして社会生活をしてきた人間は、群れないと生きていけない。

おそれず、油断せず、「楽しい」を感じる生活は必ず戻ってくる。
人間はしたたかに共存できるようになる。

我が家では父方の遺伝子が強いのか、女子の娘二人は家飲みを満喫している。
加えて愛犬が残り物を狙って、この時ばかりはピターっとビクター座り(若い人、分かるかな?)でキラキラした目でいつまでも見つめている。

ウンウン。
食べるのが一番だ。

良く寝て、動いて、食べる。
若い者が年寄りから命を譲られないですむように。
養生の基本は昔からずっと変わらないはずです。
 
2020年06月11日 12:17

くすりのオーパ徒然「電話」

お元気でお過ごしでしょうか?
春のさんざめきに心も浮き立つ時季。
木々も萌黄色から黄緑、緑、新緑と季節も移るこの時、ホッコリ暖かく空をみて歩き、大きく息をしたい時季にお家にこもっていなければならない。
同じところでジーっと季節を過ごす、草木花と違い、人間は動いてなんぼの動物。
この上なく酷なことですね。

家に居ると、バアチャンに何か起きたか!とハッとして電話をとると、
「奥様いらっしゃいますか」
奥様と呼ばれるほど、奥にはいない。
アーッ、またかと電話を切る。
「電気量が安くなります」
「ケイタイ料も安くなります」
「元気の出る何々です」
はては
「独身の方はいらっしゃいますか」
などなど。

せっかく久しぶりの読み応えのある本に没頭して今まさに佳境に入らんとする時、思い尻を上げて
「はい、もしもし」
と余所行きの声に様々な誘い、電話セールスにまたタメ息・・・

以前も息子の同級生を騙る(かたる)若い声に息子のケイタイを教えたら、
「おっかあ、誰ともわからない人に教えるな!」とお叱りを頂いた。
その後、息子は死んだことに。
奥様も死に(自分)、独身のものはとっくに片付いたことになっている(片付いていない娘二人)

店にも電話セールスが多く、辟易していたこともあり、そういう電話にはかなり不愉快になっている。
しかし、ある時「お客さんを紹介したのに、電話を切られたんだそうだよ」とか。
お客様の会社の名前だったのに、不愛想なことをしたりと、そんな時にはドーンと落ち込む日々が続く。

この頃は、できるだけ明るくやんわりお断りする術を身に着けようと努力中です。

しかし、家に居ると今はコロナサギとも言われる電話があるとか。
辛い時、やさしい言葉をかけられるとコロッと引っ掛かります。
心のスキに入り込みます。巧妙です。(私も覚えがあった気がします)
ご用心、ご用心!!

コロナといいう呼び名は、日食の時の太陽のコロナがウイルスの形に似ているので名付けられたといいます。
それならお日様が何とかしてくれるかも。
自然を味方につける。
古来人類は太陽を中心に、地と水を供に生きた。
大丈夫。
まだまだ世界は人類の英知で頑張れる。
文明の発達のし過ぎで、眠っていたものを起こしたと言えなくもないウイルスには、原点に返り、自然からの授かりものを次の世代に渡す努力をしていけば。
AIに世界を牛耳られる前に気が付いて良かった!と思える暮らしをすればよいのかもしれませんが。。。

家に居るのはチャンス。
野原の散歩も良いようだし、子等には本の読み聞かせの時間(私のお気に入りは上田秋声の「雨月物語」・・・)
家の片づけ、庭木の手入れもさわやかな空気が戻るまで、心身ともに力をつけて過ごしていくことが大事かと。

ご自愛ください
 
2020年05月30日 13:27

くすりのオーパ徒然「のんびり、ゆったり、焦らない」

皆さん、お元気ですか?

コロナウイルス、日本中で大騒ぎです。
自然からの反発なのか。感染源とされる小さな動物は人間のお粗末さにせせら笑っているのでしょうか。
原始の完成を忘れて、なんでも人間のものと、奢り過ぎたしっぺ返しでしょうか。
AIとやらの時代となっても、諸々の生きとし生けるものはそれぞれ守るものを持ち、それらを育む台地や空気は人間様だけのものではないのですね。
自然を尊び、謙虚であるべきでした。
謙虚を失ったところにウイルスは生まれたのかもしれません。

東日本大震災の時もそうでした。。。。
テレビの画面の首相の声が空しく聞こえるのは私だけでしょうか。

ひたすら不気味なウイルスの画像を流すテレビを、コタツに寝転がりながら見ているのも飽きて、フッと窓に目を向けると空が暗い。
灰色の空はこんなに圧するように深く降りて、屋根屋根を押しつぶすように重かったのか。
家を覆い隠すようにドンヨリとした空は、気も暗くなるなあ、と前の家の屋根を見つつ空を眺めていると、雲が引いてうっすらと白くなり、すき間から柔らかい光が差して来る。
気も明るくなる。
空は青く、晴れる時は確かに来ると、自然から教えられる。

腰をすえて、慌てずコロナウイルスとやらの暴力に対峙することが肝要かと、さらに酒が消毒だとゆるりと過ごす義弟をみて、こちらも落ち着いてしまうから不思議。

去年、亭主と言動がそっくりな義弟が帰ってきた。
(90過ぎの母親のいるところに)

「今晩、そっちで夕飯な。ビールはアサヒ。つまみはチーズとサラミ」
と姪と甥(私の娘と息子)との酒盛りがこの上ない楽しみのように、しょっちゅ来る。
「アーッ。お父さんと同じことを喋る~~」
「兄弟だもの」
と、五年を超えて兄貴と一緒に飲んでいるような、楽しげな義弟。
やがてコロナウイルスもガヤガヤとにぎやかな酒盛りと、大口を開けて笑う家族の免疫力にコロリと行くであろうと思える。

そして、空も益々青く晴れる。

二日酔いにならない程度の酒盛りで夜が更ける。

幸い生業として漢方薬が手元にある。
元気を保つために、いつまでも酒がおいしいと言えるように、漢方を飲んで明日もガンバル!
ところでくれぐれも免疫は食事、休む、運動です。

どうぞ皆さまご自愛ください。
 
2020年02月28日 12:22

くすりのオーパ徒然「冬の楽しみ」

一月の二十五日は旧暦の元旦です。
季節の動きは旧暦に沿っている気がします。
小さい頃の正月は新暦と思いますが、雪もたっぷりあり、寒さは今の日ではないが楽しみはたっぷりあった。

父が町から買ってきた「たんきりアメ」を近所に売り歩き、小遣いにした。
こたつではフトン針に糸をつけ、ミカンのヘタめがけて刺す!
ミカンつりだ。
そのうち家族でカルタとり。
「犬も歩けば棒に当たる~」
「猿も木から落ちる~」
「論より証拠~」
聞き漏らすまいと耳をそばだて、目は絵札をみる。
テーン!ととる。

子供たちへの訓話であった。
外はシンシンと雪。火鉢には鉄瓶がチンチンと音をする。
湯気が立つ。

小正月(旧暦の1月15日)は雪の山へ入り、赤い枝のミズキを切って来る。
ご近所みんなでモチをつき、ミズ木に飾る。
大人の世話役は数日前から子等に踊りを教え、当日は門付けをして小遣いを稼ぐ。
世話役に酒がふるまわれる。
あの頃は雪が嬉しく、長靴の口をしばり、シバレル時は行き渡りもできる。
誰かがつくった木の枝と雪で作った落とし穴にズボッとはまり。
踏み固めてテカテカにした道で、誰かがステンと転ぶのを大笑いして喜ぶ悪ガキもいて、雪とは本当に遊んだ。

手足をしもやけにして、コタツに入るとジンジンしてカユイ。
そんなのことは何ということもなかったあの頃。

火棚から下がった自在鉤にかけた鉄ナベの中には温かい果報ダンゴ。
「ホレっ」と果報の小銭が入っているらしい果報ダンゴを椀に入れる母。
横座から父がニコニコしながら「食え!果報あったが?」

あれは何月だったか忘れている。
やたらと走馬灯のようにあの頃が頭を駆け巡る。

正月に風邪で寝込み弱気になったせいか、歳が重なったせいか。
寝ながらツラツラと店は大丈夫かち老婆心が働くが、娘らはしっかりしている。
オタオタしているのは自分だけ。
やっと店に出るようになり、いつもの口が先で、イスに尻が付きっぱなしの母に、安心と、ア~またうるさいという表情の二人を前に、やっぱりここが自分の居所。
長年の習慣が途切れると心まで寝込むらしい。
もうひとガンバリ。
年齢のせいなどと言っている場合ではない。
92歳の義母に負けないよう、シャキッと、シャキッとだ。

雪が解けたたろ氷(タロヒ)に陽があたり、キラキラ光、タツンタツンとしずくの落ちる春も来る。
が、今年は温かい。
春の知らせの雪解けける様は今年は見ることができるのかという程、雪のない冬ですね。
それでも風邪の時期です。

ご自愛ください。
2020年02月17日 17:51

くすりのオーパ徒然「初めての将棋」

お元気でお過ごしでしょうか。
庭のヤマボウシの実はザクザクなり、ラッキーのおやつに毎日落ちてくる。
柿の実も豊作。
少しずつ秋色に庭も染まりつつあり、朝夕も涼しくなってまいりましたが、まだ残暑厳しいです。

涼しくなったためか、蚊が元気になって薄暗い草の間から秘境にも音もなく、チクリとも言わず服の上からでも刺す。
モウレツなかゆみに不愉快なことこの上ない。

雑草取りの作用は今年はしない!どうせ枯れる!!というわけで、休日はあっちにコロリ、ソファーにゴロリと本を片手にきままに過ごす、至福の時。

今は「太公望」の読み直し。
紀元前千数百年の話。
胸が躍る圧巻の上、中、下巻。

今日はこんな感じで過ごそうか。
が、突然のにぎやかな「声」に「なんだ?!」「あっ、孫が来るんだった」
亭主の立ち日に忘れずに来てくれる。
「やあ、来たね」
体力では追い付かないので、座って相手をしようと初めての将棋。
駒の動かし方は「ドラえもん将棋」に書いてある。

さあ、勝負だ。
う~む。
ヤツも初めての将棋らしいが、呑み込みが早い。
バアバの打つ駒の間違いを訂正しつつ、動かす。
飛車を上手に使う。
手加減などいらない。
若干小学一年生だ。

さすがに父親(わたしの息子)には駒を数個除いてもらっても歯が立たない。
「参りました」と言うんだよ、と「礼」を教えても負けと認めたくないらしい。
言わずに目にブワーっと水をあふれさせている。
とりなしにバアバと一回勝負とする。

「香車」で直進してくる。
「太公望」のようなわけにはいかないが、バアバは弱い!!
「参りました」と言うと、やっと小さな声で父親に「まいりました」だと。
カエルも怖がる孫だが、何とかなりそうな気配だ。
うんうん、
フツウに大きくなれ。
当たり前の人生で良い。
惻隠の心があれば、と何者になるか分からない孫の相手も休日の楽しみの一つだ。

牡蠣がなると医者いらず、といいますが、秋の夜長、ついついと夜更かしにご油断なく。
冬に備えて十分な睡眠をとりましょう。
残暑にもお気をつけてお過ごしください。

令和元年9月
2019年12月10日 12:53

くすりのオーパ徒然「移動する自由」

お元気でお過ごしのことと存じます。

秋の陽は「つるべ落とし」とはよく言ったものです。
暗くなるのが早くなりました。

それにつけても異常気象ですね。
水害になるということは温暖ということでしょう。

家の庭も変です。
ボケの花が切った根元から満開です。
雪が解けて一番に咲くはずの雪割草も満開です。
藤の花も本来は実のなるころ、三房、四房と花が咲いていました。

季節のずれが起きています。
人間の飽くなき欲が自然界にも確実に押し寄せている。
いずれ人にも返ってくる。

孫の時代は大丈夫か、と心が暗くなる。
「一番でなければいやだ」とどこぞのIT社長が言っている。
程よいところが一番ではないかとテレビを見ながら言ってはみても、電気もない、石油もないの生活にはもはや戻ることはできない。
山にこもって自給自足は無理だし、今の心地の良い生活は手放せない。
勝手だあ!

心は痛いが、生きねばならん。
今の時代をスルスルと。

私のせいではないかも、と弁解しつすぐに気は別のところに行く。
庭の雪割草の花と、ボケの赤、もみじの黄色をみて一瞬の罪悪感をわきに置く。

今日は今日、明日は明日、と。

そうだ、今日は暇な日曜日。
ひそかな楽しみの盛岡へでも行こう。
目的は盛岡南も「TUTAYA]
車はガソリンをまき散らして風のように走る。
空は快晴。
青の中に雪をのせた岩手片富士がスッキリと立っている。
道はイチョウの黄色、桜の赤、どうだんも真っ赤。道路の側壁にからまるツタの鮮やかさ。

高速道路でもにぎやかな秋色だ。

目指すは立ち読みならぬ、座ってタダ読みのコース。
気兼ねなく本も選べる。
「湖底の城」にどっぷりつかる。
途中で隣のイオンで昼食をとり、座り読みに戻る。
夕方になってきた。
タダ読みも申し訳なく、「藤沢周平」を買って、今日は良い日とホクホクと帰路に就く。

全く贅沢な日曜日です。
これも運転できればこそ。
最近、免許返納して自由に移動できる手段を失った高齢者は運転している人に比べて要介護になるリスクが2.2倍になると筑波大の研究チームが発表したとか。
運転はやめたが公共交通機関や自転車の外出をしている人でも、リスクは1.7倍だったという。

出かける自由、人と話す楽しみがなくなるから、というのが理由だそうだ。
よ~く解ります。
気兼ねなく出かけられる生活はやっぱり必要ですが、痛しかゆしというところ。

私も気を抜かず頭に活を入れながら運転するこの頃です。
冬はやはり来ます。
インフルエンザも流行っています。
くれぐれもご自愛ください。
2019年11月22日 14:48

くすりのオーパ徒然「今を楽しむ」

お元気でお過ごしのことと存じます。

暑さ、長かったですね。
梅雨もあったようななかったようなで、やっと八月の後半に雨。
恵みの雨で、農家は「畑は湿っただけ」と話されていました。
毎年毎年、「今年はおかしい天候ですね」と会話しているような気がする。
そのうち人間の住めない地球になるかもしれない。

テレビの情報だが、人工知能(AIとやら)が幅を利かせ、人間の脳の細胞を切り取り埋め込んだチップが人間のように活動するらしい。
人の実態はないのに、である。
恐ろしいことだ。
すぐそこまで来ているという。
わずかここ数十年で、進歩(?)したAI。
私たちは大地に足を置き、草の上に寝転がり、虫の声や鳥のさえずりに耳を澄ませ。花々の散る様を楽し気に見て、大いなる宇宙を想像させる空を見て、生身の人間を実感しているが、近いうちにこんな単純なことも消え去ってしまうらしい。

アア、見たくない。考えたくない。
孫の代にはどうなるのだろう。
が、ばあばは先のことなど考えても仕方ない.

今を楽しんだ方がよい。
どうせ死ぬんだもの。
こんなタイトルの本を読んで、うんうん、そうだと思いなおした。
この「すぐ死ぬんだから」は老いてもシャンと生きていく覚悟みたいな本。

成程、老いとはこんなもんだと共感する(このところ老いの話題が多いオーパつれづれであるが、若い人には少々辛いものがある?ガマンしてください)
目もかすんだりするし~、頭もかすんだりするし~恨みも、そねみ、ねたみ、欲もなくなって、あ~あ軽い。
人をうらやむこともなくなり、菩薩の域だと、色々なことが許せるようになると許した数だけ、怒りや恨み、ストレスやこだわりが剥がれ落ちる。
なんという解放感だろう、と語らせている。
(マッ、本の中では許せないことが突然起こり、スッタモンダの挙句の気持ちの有り様をいっているが)

関わりのあったひとが少しずつ、欠けていく時の生き方を私も模索している。
首が前に突き出て、背も丸くなりつつある今、百歳の母が八十の子に「気をつけろ」という気持ちはよく分かるが、注意や気遣いは時には若いもんにはうっとうしい。

確かに口うるさくしないように、と親は思っても、子はそうは思わない。
いつまでも子供に目がいって、否定されて不快この上ないと日を暮らすのはやめよう。

違う人生だと割り切り、一人ひとり違っていいと大好きなキムタクのグループが歌っていたっけ。
オンリーワン。
世界で一人だけの人生。
衰退と言われる今の時に心寂しく思うより、キラキラの太陽の時もあった自分に少し立ち返ろう。
どうせ死ぬんだから。

今日は服を新しく買い、おしゃれして、あまり好きでないがコーヒーでも飲みに行こうか。
グッドラックだ。
秋が忍び寄り、寂しい時季。
ご自愛ください。
2019年08月27日 12:09

くすりのオーパ徒然「ピシッとした人生」

お元気でしょうか。

あじさいが青としてまだある。

例年ならば夏の陽ざしの中でしんなりとして、出番はそろそろ終わりという風なのだろうに、明日も曇りらしい。
明るくサンサンとの太陽のもとで汗をかきながら、西瓜をがぶり、生のキュウリを味噌ごとパクリ。
湧き水のひんやりがが気持ちの良い夏はもう少し待とうか、とボンヤリ考えていたある日、ギンギラギンの若い時もあった我が人生に日暮らしの時期だよ、と再確認の通知が届いた。

これでもかと「高齢」という文字のついた通知書。
検診だの、高齢者用の保険証、年金が減るだと?これでもかと。
しかし今回は「高齢者講習通知書」。
余計なお世話とは言わない。
大事な通知書。
フム、特にこの頃、脳が私の思いとは違う勝手な物忘れでヘキエキもしている。
有難いことです。

思えば20代から約53年ほどの運転歴。
当時女性の運転はあまりない。
しかも「クラウン」などという高級車。
対向車のトラックからヒューと口笛が聞こえた(ような?気のせい?)時もあり(もちろんクラウンは自前ではないが)さっそうと風になっていたような気になっていた。
今、高齢という通知をしょっちゅう聞くとすっかり日暮れの年齢と言われているようで力が抜ける。
いずれにしても行く道だし、分かっています。

マッ、この頃の運転は以前にも増して道端の草木や鳥、空に目が行く。
いわゆる脇見運転。自分としても反省。
友人の車に乗るとお喋りに花が咲き、脳と目はおろそかに。

「ねえ、今の赤信号だったよね」
「うん?曲がる方は青だったよ」
「イヤイヤイヤ」

クラッチがあり、左足でフムブレーキの車に乗っていた名残か、私の左足は妙に力が入る。

それでも車は足。
早めの講習を申し込もう。

足がないと孤独な老人になりかねない。
そのうちホームに入り、風呂、メシ、掃除も人任せ、自力でやることは夜寝るときに目をつぶるくらい、というのはもう少し先で良い。
人生の日暮れの時とはいえ、自分の足で歩いて活動することこそ生きている気がする。
空気のおいしさを感じ、茜の空に感動し、外見はシワクチャでも心はピシッとありたい。

歩けなくなってもピシッと青い空を見たい。
若いもんには順番だから、とオドシ(?)をかけて、くれぐれも少しの迷惑ですがよろしく、と。
ご先祖からの生を堂々と歩きたいものです。
若い者もご油断なく。
あっという間。
ウロウロしているうちに日暮れになるよ。
ゴミ袋にスーパーの総菜のトレーが一杯では体が可哀そう。
少しでも手を加えたものを口にして、老いた者から生きるための智恵を頂いた方が、楽しい人生だよ、と老婆心ながら言っておこうかな?
ピシッとした人生を送るために。

 
2019年08月06日 13:45

くすりのオーパ徒然 「べったら焼きの思い出」

お元気のことと存じます。

五月は暑かったですね。

六月は梅雨。少しじめっとしています。が、あの暑さを思うとホッとします。

熱中症で運ばれた方も多かった五月。
身内に事が起きました。

六月の始めに姉を訪ねた折、顔を真っ赤にして喘いでいる。
いつもより太くなっている足、よく見ると顔もむくんでいる。
ジェロジェロとしきりにタンを出す。
おしっこもよく出ないと横になり、肩で息をしている。
「これはよくない」とすぐ総合病院に行くも、午後のこともあり、個人の病院に行って下さいと言う。
救急車できたのではないので仕方ないが、歩くのも呼吸も苦しそうな高齢者をまた移動させるのも心配ですので、と事情を理解してくださりようやく診ていただいた。
「検査の数値が大変悪く、心臓と腎臓の肥大、骨に菌も入っている」と即入院。
本人は久しぶりに有料ホームから自宅に戻り、厚い中花の手入れをしたらしい。
ほんの少しの変化も年齢を重ねると危険ということだ。

思えば姉も「イッパダ」(若くて元気)な時もあった訳で、これしきのことではへこたれなかった。
つくづく人は皆老いる~~。

かく言う私も今まさに高齢者の仲間。老いも実感する。

イッパダの時は子等を怒鳴りつつ、毎日夜中まで働き、次の日もシャンとして働いた。
こんな頃の思い出は「べったら焼き」という娘が言う。
いよいよ手持ちもなくなり、米も怪しくなってくると登場する(クレープのようなもの)に野菜を挟みハチミツをつけて食べるのだ。
あの元気バリバリの時、子供によくお使いをさせた。

1、2年生の頃「いちのへストア」は地下道をくぐってすぐ。
「メリケン粉とはちみつ」のメモを持たせて早く行ってきて、と。

ややあって「ないの」と悲しそうな声の電話。
「メリケン粉だよ。ないはずないよ!」
「店員さんに探してもらってもないの」
「あるはずよ」
「でもないって」
「フーム?アッ、小麦粉だった!」

メリケン粉という商品名はあるわけないな。
忙しい頭はメリケン波止場に行って、プッツンしていたらしい。
(明治から昭和初期の人しかわからないかも・・・)

「あのベッタラ焼き、好きだったよ」と苦肉の策だったのに、優しいことを言ってくれる。
幸か不幸かいまだに家が好き、という娘二人に見守られ?お客様のおかげで今暮らせている。
怒鳴りながらも食事だけはしっかり毎日作った私の育て方が良かったのか?

老後という年齢をコツコツと油断せず、死ぬまで生きようと思うこの頃です。
若かったころの話を酒の肴にしてもらえる、幸せな今です。

空は梅雨の色でも、地は色とりどりの花々で明るい。
紫陽花はいよいよ青さを増している。

こんな時期はくれぐれもご油断なく。

ご自愛ください。
 
2019年06月28日 10:10

くすりのオーパ徒然「草取り」

お元気でお過ごしのことと思います。

お天道様がジリジリではあるが、風が木々をわたり、心地の良い日曜日。

庭に出てひとしきり眺め、ため息一つ。
う~ん。草が元気だ。花が負けている。
小さい庭に「タンポポ」も綿毛はすでにない。
ヒョロリと高い背を伸ばして、何やら俺の居場所だと大きな顔をしている。

「スギナ」もビッシリ。
「どくだみ」も競争するように、肥料のない土ゆえはびこっている。

はびこるというのは人間側の都合であり、草たちは生き延びるための居場所を我が庭に落ち着かせているだけ。
時には薬草として重宝もされる・・・が、引き抜かないと和たちの気が落ち着かない・・・。

朝食を取らずに抜き始めた。
チョットだけのつもりが、目につく~。

「朝ごはんだよ」と呼ばれて遅い朝ごはん。
少し休んで又草との格闘。

生きるのに必死の様の小さな草。
可愛いらしい花もつけている。
雑草とみれば、雑草。
しばし小さな花を見ながら抜く。芝生のネジリ花はそのままにしても他は抜く!
この密集して根を張る力強さに、生きるの辛い、つまらないとか、どう老いを過ごすかなど思い煩うことなどなく、ただひたすらあるがまま? なすがまま?
などと考えながらムッ!深い!愛らしい花であろうと心を鬼にして引き抜くことに集中。
時々庭に来るキジが今日はお隣の庭で、ケーンケーン、ヨチヨチと歩いている。

のどかだ~。
つい数日前は駐車場の鬼アザミを小形のクワで力任せにガツンガツン。
エイッ。にくたらしい、と切ってきたばかり。

あの鮮やかな紫の花を咲かせるアザミの葉は、その花を守るようにトゲトゲ。
手を出そうものならジクっと手をかむ。
触られるのを拒否する。
思い知ったかとののしり、切り倒してきた。
無言で倒れた。

さて、日曜日の草取は気がつけば四時半。
ア~ッ、ツカレタ。
帰ったきた娘に「きれいになったでしょっ」「うん、ガンバッタネ」と、庭も見ずに気合の入らないなぐさめ。
別の娘は「花か草か見分けがつかん!だいたい、雑草も花咲くよ」
「疲れて具合悪くなるでしょ」だと。

フン、いいのだ。スッキリして満足なのだ。
が、次の日、「イタタタタ・・・」という声にニヤニヤと同情する風もない。
年齢と運動不足をしきりに思った。
風は心地よい。空も空気も夏の色に染まりつつある。
令和の最初の月も終わりになりそう。
時は移ろう。

程々に方の力を抜いて。
時々の格闘を生活の中に取り入れて、いいトシのとり方をしたいものです。
くれぐれも草取り、野良仕事、ホドホドに。
 
2019年05月31日 17:14