岩手県奥州市の漢方相談の店|くすりのオーパ

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くすりのオーパ徒然「冬の楽しみ」

一月の二十五日は旧暦の元旦です。
季節の動きは旧暦に沿っている気がします。
小さい頃の正月は新暦と思いますが、雪もたっぷりあり、寒さは今の日ではないが楽しみはたっぷりあった。

父が町から買ってきた「たんきりアメ」を近所に売り歩き、小遣いにした。
こたつではフトン針に糸をつけ、ミカンのヘタめがけて刺す!
ミカンつりだ。
そのうち家族でカルタとり。
「犬も歩けば棒に当たる~」
「猿も木から落ちる~」
「論より証拠~」
聞き漏らすまいと耳をそばだて、目は絵札をみる。
テーン!ととる。

子供たちへの訓話であった。
外はシンシンと雪。火鉢には鉄瓶がチンチンと音をする。
湯気が立つ。

小正月(旧暦の1月15日)は雪の山へ入り、赤い枝のミズキを切って来る。
ご近所みんなでモチをつき、ミズ木に飾る。
大人の世話役は数日前から子等に踊りを教え、当日は門付けをして小遣いを稼ぐ。
世話役に酒がふるまわれる。
あの頃は雪が嬉しく、長靴の口をしばり、シバレル時は行き渡りもできる。
誰かがつくった木の枝と雪で作った落とし穴にズボッとはまり。
踏み固めてテカテカにした道で、誰かがステンと転ぶのを大笑いして喜ぶ悪ガキもいて、雪とは本当に遊んだ。

手足をしもやけにして、コタツに入るとジンジンしてカユイ。
そんなのことは何ということもなかったあの頃。

火棚から下がった自在鉤にかけた鉄ナベの中には温かい果報ダンゴ。
「ホレっ」と果報の小銭が入っているらしい果報ダンゴを椀に入れる母。
横座から父がニコニコしながら「食え!果報あったが?」

あれは何月だったか忘れている。
やたらと走馬灯のようにあの頃が頭を駆け巡る。

正月に風邪で寝込み弱気になったせいか、歳が重なったせいか。
寝ながらツラツラと店は大丈夫かち老婆心が働くが、娘らはしっかりしている。
オタオタしているのは自分だけ。
やっと店に出るようになり、いつもの口が先で、イスに尻が付きっぱなしの母に、安心と、ア~またうるさいという表情の二人を前に、やっぱりここが自分の居所。
長年の習慣が途切れると心まで寝込むらしい。
もうひとガンバリ。
年齢のせいなどと言っている場合ではない。
92歳の義母に負けないよう、シャキッと、シャキッとだ。

雪が解けたたろ氷(タロヒ)に陽があたり、キラキラ光、タツンタツンとしずくの落ちる春も来る。
が、今年は温かい。
春の知らせの雪解けける様は今年は見ることができるのかという程、雪のない冬ですね。
それでも風邪の時期です。

ご自愛ください。
2020年02月17日 17:51

くすりのオーパ徒然「初めての将棋」

お元気でお過ごしでしょうか。
庭のヤマボウシの実はザクザクなり、ラッキーのおやつに毎日落ちてくる。
柿の実も豊作。
少しずつ秋色に庭も染まりつつあり、朝夕も涼しくなってまいりましたが、まだ残暑厳しいです。

涼しくなったためか、蚊が元気になって薄暗い草の間から秘境にも音もなく、チクリとも言わず服の上からでも刺す。
モウレツなかゆみに不愉快なことこの上ない。

雑草取りの作用は今年はしない!どうせ枯れる!!というわけで、休日はあっちにコロリ、ソファーにゴロリと本を片手にきままに過ごす、至福の時。

今は「太公望」の読み直し。
紀元前千数百年の話。
胸が躍る圧巻の上、中、下巻。

今日はこんな感じで過ごそうか。
が、突然のにぎやかな「声」に「なんだ?!」「あっ、孫が来るんだった」
亭主の立ち日に忘れずに来てくれる。
「やあ、来たね」
体力では追い付かないので、座って相手をしようと初めての将棋。
駒の動かし方は「ドラえもん将棋」に書いてある。

さあ、勝負だ。
う~む。
ヤツも初めての将棋らしいが、呑み込みが早い。
バアバの打つ駒の間違いを訂正しつつ、動かす。
飛車を上手に使う。
手加減などいらない。
若干小学一年生だ。

さすがに父親(わたしの息子)には駒を数個除いてもらっても歯が立たない。
「参りました」と言うんだよ、と「礼」を教えても負けと認めたくないらしい。
言わずに目にブワーっと水をあふれさせている。
とりなしにバアバと一回勝負とする。

「香車」で直進してくる。
「太公望」のようなわけにはいかないが、バアバは弱い!!
「参りました」と言うと、やっと小さな声で父親に「まいりました」だと。
カエルも怖がる孫だが、何とかなりそうな気配だ。
うんうん、
フツウに大きくなれ。
当たり前の人生で良い。
惻隠の心があれば、と何者になるか分からない孫の相手も休日の楽しみの一つだ。

牡蠣がなると医者いらず、といいますが、秋の夜長、ついついと夜更かしにご油断なく。
冬に備えて十分な睡眠をとりましょう。
残暑にもお気をつけてお過ごしください。

令和元年9月
2019年12月10日 12:53

くすりのオーパ徒然「移動する自由」

お元気でお過ごしのことと存じます。

秋の陽は「つるべ落とし」とはよく言ったものです。
暗くなるのが早くなりました。

それにつけても異常気象ですね。
水害になるということは温暖ということでしょう。

家の庭も変です。
ボケの花が切った根元から満開です。
雪が解けて一番に咲くはずの雪割草も満開です。
藤の花も本来は実のなるころ、三房、四房と花が咲いていました。

季節のずれが起きています。
人間の飽くなき欲が自然界にも確実に押し寄せている。
いずれ人にも返ってくる。

孫の時代は大丈夫か、と心が暗くなる。
「一番でなければいやだ」とどこぞのIT社長が言っている。
程よいところが一番ではないかとテレビを見ながら言ってはみても、電気もない、石油もないの生活にはもはや戻ることはできない。
山にこもって自給自足は無理だし、今の心地の良い生活は手放せない。
勝手だあ!

心は痛いが、生きねばならん。
今の時代をスルスルと。

私のせいではないかも、と弁解しつすぐに気は別のところに行く。
庭の雪割草の花と、ボケの赤、もみじの黄色をみて一瞬の罪悪感をわきに置く。

今日は今日、明日は明日、と。

そうだ、今日は暇な日曜日。
ひそかな楽しみの盛岡へでも行こう。
目的は盛岡南も「TUTAYA]
車はガソリンをまき散らして風のように走る。
空は快晴。
青の中に雪をのせた岩手片富士がスッキリと立っている。
道はイチョウの黄色、桜の赤、どうだんも真っ赤。道路の側壁にからまるツタの鮮やかさ。

高速道路でもにぎやかな秋色だ。

目指すは立ち読みならぬ、座ってタダ読みのコース。
気兼ねなく本も選べる。
「湖底の城」にどっぷりつかる。
途中で隣のイオンで昼食をとり、座り読みに戻る。
夕方になってきた。
タダ読みも申し訳なく、「藤沢周平」を買って、今日は良い日とホクホクと帰路に就く。

全く贅沢な日曜日です。
これも運転できればこそ。
最近、免許返納して自由に移動できる手段を失った高齢者は運転している人に比べて要介護になるリスクが2.2倍になると筑波大の研究チームが発表したとか。
運転はやめたが公共交通機関や自転車の外出をしている人でも、リスクは1.7倍だったという。

出かける自由、人と話す楽しみがなくなるから、というのが理由だそうだ。
よ~く解ります。
気兼ねなく出かけられる生活はやっぱり必要ですが、痛しかゆしというところ。

私も気を抜かず頭に活を入れながら運転するこの頃です。
冬はやはり来ます。
インフルエンザも流行っています。
くれぐれもご自愛ください。
2019年11月22日 14:48

くすりのオーパ徒然「今を楽しむ」

お元気でお過ごしのことと存じます。

暑さ、長かったですね。
梅雨もあったようななかったようなで、やっと八月の後半に雨。
恵みの雨で、農家は「畑は湿っただけ」と話されていました。
毎年毎年、「今年はおかしい天候ですね」と会話しているような気がする。
そのうち人間の住めない地球になるかもしれない。

テレビの情報だが、人工知能(AIとやら)が幅を利かせ、人間の脳の細胞を切り取り埋め込んだチップが人間のように活動するらしい。
人の実態はないのに、である。
恐ろしいことだ。
すぐそこまで来ているという。
わずかここ数十年で、進歩(?)したAI。
私たちは大地に足を置き、草の上に寝転がり、虫の声や鳥のさえずりに耳を澄ませ。花々の散る様を楽し気に見て、大いなる宇宙を想像させる空を見て、生身の人間を実感しているが、近いうちにこんな単純なことも消え去ってしまうらしい。

アア、見たくない。考えたくない。
孫の代にはどうなるのだろう。
が、ばあばは先のことなど考えても仕方ない.

今を楽しんだ方がよい。
どうせ死ぬんだもの。
こんなタイトルの本を読んで、うんうん、そうだと思いなおした。
この「すぐ死ぬんだから」は老いてもシャンと生きていく覚悟みたいな本。

成程、老いとはこんなもんだと共感する(このところ老いの話題が多いオーパつれづれであるが、若い人には少々辛いものがある?ガマンしてください)
目もかすんだりするし~、頭もかすんだりするし~恨みも、そねみ、ねたみ、欲もなくなって、あ~あ軽い。
人をうらやむこともなくなり、菩薩の域だと、色々なことが許せるようになると許した数だけ、怒りや恨み、ストレスやこだわりが剥がれ落ちる。
なんという解放感だろう、と語らせている。
(マッ、本の中では許せないことが突然起こり、スッタモンダの挙句の気持ちの有り様をいっているが)

関わりのあったひとが少しずつ、欠けていく時の生き方を私も模索している。
首が前に突き出て、背も丸くなりつつある今、百歳の母が八十の子に「気をつけろ」という気持ちはよく分かるが、注意や気遣いは時には若いもんにはうっとうしい。

確かに口うるさくしないように、と親は思っても、子はそうは思わない。
いつまでも子供に目がいって、否定されて不快この上ないと日を暮らすのはやめよう。

違う人生だと割り切り、一人ひとり違っていいと大好きなキムタクのグループが歌っていたっけ。
オンリーワン。
世界で一人だけの人生。
衰退と言われる今の時に心寂しく思うより、キラキラの太陽の時もあった自分に少し立ち返ろう。
どうせ死ぬんだから。

今日は服を新しく買い、おしゃれして、あまり好きでないがコーヒーでも飲みに行こうか。
グッドラックだ。
秋が忍び寄り、寂しい時季。
ご自愛ください。
2019年08月27日 12:09

くすりのオーパ徒然「ピシッとした人生」

お元気でしょうか。

あじさいが青としてまだある。

例年ならば夏の陽ざしの中でしんなりとして、出番はそろそろ終わりという風なのだろうに、明日も曇りらしい。
明るくサンサンとの太陽のもとで汗をかきながら、西瓜をがぶり、生のキュウリを味噌ごとパクリ。
湧き水のひんやりがが気持ちの良い夏はもう少し待とうか、とボンヤリ考えていたある日、ギンギラギンの若い時もあった我が人生に日暮らしの時期だよ、と再確認の通知が届いた。

これでもかと「高齢」という文字のついた通知書。
検診だの、高齢者用の保険証、年金が減るだと?これでもかと。
しかし今回は「高齢者講習通知書」。
余計なお世話とは言わない。
大事な通知書。
フム、特にこの頃、脳が私の思いとは違う勝手な物忘れでヘキエキもしている。
有難いことです。

思えば20代から約53年ほどの運転歴。
当時女性の運転はあまりない。
しかも「クラウン」などという高級車。
対向車のトラックからヒューと口笛が聞こえた(ような?気のせい?)時もあり(もちろんクラウンは自前ではないが)さっそうと風になっていたような気になっていた。
今、高齢という通知をしょっちゅう聞くとすっかり日暮れの年齢と言われているようで力が抜ける。
いずれにしても行く道だし、分かっています。

マッ、この頃の運転は以前にも増して道端の草木や鳥、空に目が行く。
いわゆる脇見運転。自分としても反省。
友人の車に乗るとお喋りに花が咲き、脳と目はおろそかに。

「ねえ、今の赤信号だったよね」
「うん?曲がる方は青だったよ」
「イヤイヤイヤ」

クラッチがあり、左足でフムブレーキの車に乗っていた名残か、私の左足は妙に力が入る。

それでも車は足。
早めの講習を申し込もう。

足がないと孤独な老人になりかねない。
そのうちホームに入り、風呂、メシ、掃除も人任せ、自力でやることは夜寝るときに目をつぶるくらい、というのはもう少し先で良い。
人生の日暮れの時とはいえ、自分の足で歩いて活動することこそ生きている気がする。
空気のおいしさを感じ、茜の空に感動し、外見はシワクチャでも心はピシッとありたい。

歩けなくなってもピシッと青い空を見たい。
若いもんには順番だから、とオドシ(?)をかけて、くれぐれも少しの迷惑ですがよろしく、と。
ご先祖からの生を堂々と歩きたいものです。
若い者もご油断なく。
あっという間。
ウロウロしているうちに日暮れになるよ。
ゴミ袋にスーパーの総菜のトレーが一杯では体が可哀そう。
少しでも手を加えたものを口にして、老いた者から生きるための智恵を頂いた方が、楽しい人生だよ、と老婆心ながら言っておこうかな?
ピシッとした人生を送るために。

 
2019年08月06日 13:45

くすりのオーパ徒然 「べったら焼きの思い出」

お元気のことと存じます。

五月は暑かったですね。

六月は梅雨。少しじめっとしています。が、あの暑さを思うとホッとします。

熱中症で運ばれた方も多かった五月。
身内に事が起きました。

六月の始めに姉を訪ねた折、顔を真っ赤にして喘いでいる。
いつもより太くなっている足、よく見ると顔もむくんでいる。
ジェロジェロとしきりにタンを出す。
おしっこもよく出ないと横になり、肩で息をしている。
「これはよくない」とすぐ総合病院に行くも、午後のこともあり、個人の病院に行って下さいと言う。
救急車できたのではないので仕方ないが、歩くのも呼吸も苦しそうな高齢者をまた移動させるのも心配ですので、と事情を理解してくださりようやく診ていただいた。
「検査の数値が大変悪く、心臓と腎臓の肥大、骨に菌も入っている」と即入院。
本人は久しぶりに有料ホームから自宅に戻り、厚い中花の手入れをしたらしい。
ほんの少しの変化も年齢を重ねると危険ということだ。

思えば姉も「イッパダ」(若くて元気)な時もあった訳で、これしきのことではへこたれなかった。
つくづく人は皆老いる~~。

かく言う私も今まさに高齢者の仲間。老いも実感する。

イッパダの時は子等を怒鳴りつつ、毎日夜中まで働き、次の日もシャンとして働いた。
こんな頃の思い出は「べったら焼き」という娘が言う。
いよいよ手持ちもなくなり、米も怪しくなってくると登場する(クレープのようなもの)に野菜を挟みハチミツをつけて食べるのだ。
あの元気バリバリの時、子供によくお使いをさせた。

1、2年生の頃「いちのへストア」は地下道をくぐってすぐ。
「メリケン粉とはちみつ」のメモを持たせて早く行ってきて、と。

ややあって「ないの」と悲しそうな声の電話。
「メリケン粉だよ。ないはずないよ!」
「店員さんに探してもらってもないの」
「あるはずよ」
「でもないって」
「フーム?アッ、小麦粉だった!」

メリケン粉という商品名はあるわけないな。
忙しい頭はメリケン波止場に行って、プッツンしていたらしい。
(明治から昭和初期の人しかわからないかも・・・)

「あのベッタラ焼き、好きだったよ」と苦肉の策だったのに、優しいことを言ってくれる。
幸か不幸かいまだに家が好き、という娘二人に見守られ?お客様のおかげで今暮らせている。
怒鳴りながらも食事だけはしっかり毎日作った私の育て方が良かったのか?

老後という年齢をコツコツと油断せず、死ぬまで生きようと思うこの頃です。
若かったころの話を酒の肴にしてもらえる、幸せな今です。

空は梅雨の色でも、地は色とりどりの花々で明るい。
紫陽花はいよいよ青さを増している。

こんな時期はくれぐれもご油断なく。

ご自愛ください。
 
2019年06月28日 10:10

くすりのオーパ徒然「草取り」

お元気でお過ごしのことと思います。

お天道様がジリジリではあるが、風が木々をわたり、心地の良い日曜日。

庭に出てひとしきり眺め、ため息一つ。
う~ん。草が元気だ。花が負けている。
小さい庭に「タンポポ」も綿毛はすでにない。
ヒョロリと高い背を伸ばして、何やら俺の居場所だと大きな顔をしている。

「スギナ」もビッシリ。
「どくだみ」も競争するように、肥料のない土ゆえはびこっている。

はびこるというのは人間側の都合であり、草たちは生き延びるための居場所を我が庭に落ち着かせているだけ。
時には薬草として重宝もされる・・・が、引き抜かないと和たちの気が落ち着かない・・・。

朝食を取らずに抜き始めた。
チョットだけのつもりが、目につく~。

「朝ごはんだよ」と呼ばれて遅い朝ごはん。
少し休んで又草との格闘。

生きるのに必死の様の小さな草。
可愛いらしい花もつけている。
雑草とみれば、雑草。
しばし小さな花を見ながら抜く。芝生のネジリ花はそのままにしても他は抜く!
この密集して根を張る力強さに、生きるの辛い、つまらないとか、どう老いを過ごすかなど思い煩うことなどなく、ただひたすらあるがまま? なすがまま?
などと考えながらムッ!深い!愛らしい花であろうと心を鬼にして引き抜くことに集中。
時々庭に来るキジが今日はお隣の庭で、ケーンケーン、ヨチヨチと歩いている。

のどかだ~。
つい数日前は駐車場の鬼アザミを小形のクワで力任せにガツンガツン。
エイッ。にくたらしい、と切ってきたばかり。

あの鮮やかな紫の花を咲かせるアザミの葉は、その花を守るようにトゲトゲ。
手を出そうものならジクっと手をかむ。
触られるのを拒否する。
思い知ったかとののしり、切り倒してきた。
無言で倒れた。

さて、日曜日の草取は気がつけば四時半。
ア~ッ、ツカレタ。
帰ったきた娘に「きれいになったでしょっ」「うん、ガンバッタネ」と、庭も見ずに気合の入らないなぐさめ。
別の娘は「花か草か見分けがつかん!だいたい、雑草も花咲くよ」
「疲れて具合悪くなるでしょ」だと。

フン、いいのだ。スッキリして満足なのだ。
が、次の日、「イタタタタ・・・」という声にニヤニヤと同情する風もない。
年齢と運動不足をしきりに思った。
風は心地よい。空も空気も夏の色に染まりつつある。
令和の最初の月も終わりになりそう。
時は移ろう。

程々に方の力を抜いて。
時々の格闘を生活の中に取り入れて、いいトシのとり方をしたいものです。
くれぐれも草取り、野良仕事、ホドホドに。
 
2019年05月31日 17:14

くすりのオーパ徒然「春山にて」

春爛漫。桜の時季、おげんきでしょうか・

この慌ただしい時をくぐり、福島の「花見山」へ義母と孫、嫁、娘たちと出かけてきました。息子は仕事に「精」を出すと勤めへ。
雨の予報は、桜を観たい一心の一家に恐れをなしたのか、上々の天気。
山は桜色と連翹の黄色に染まり、地にはボケの赤。
気はソワソワと晴の日だ・

各所にお休み処もあり、60分コースの花見山。
ピカピカの一年生の孫と、御年92才になろうとするおぴいちゃんもゆっくり頂上へ。
桜の木々の間から、雪の山々を見て、「日本って良いね」(外国のことは知らないけれど)

それにしても92才の健脚には脱帽です。
「ダイジョウブ?」と息の上がった声の私に「大丈夫!」と平気の平左で答える・・・私、やっぱりバアチャンに面倒見てもらう羽目になるような気が・・・。シンパイ・・・。

帰りは温泉でホッコリ。
寝湯で「ア~。極楽極楽」

風呂上りに嫁が「パパ(息子)に家のカギを渡さないで来ちゃった!」と。
今日に限って仕事を五時に終えた息子は、延々と夜10時過ぎまで車の中。(のちほど聞いてみると、ビールを飲みたかったので、コンビニで買ってきて車の中で飲んでたよ、と)

申し訳ないと、バアチャンから順番に電話で平謝り。
「イヤー。楽しかったら良かったよ」とやさしい返事に「ほっ!」
「この穴埋めは必ずするからね!」と言った口も乾かぬうちの数日後、再び息子に頼んで福島へ。

「伊藤若冲」を見に付き合わせることに。
誠に親孝行な子等を持ったと、平成最後のワガママバアバです。

令和の時代も、こんな無理に付き合ってもらえるように元気でいなければならんのですネ。

令和といえば、お客様に「おめでとう。レイだね」とお祝いされた??(私の名前は玲子)
令和は良い年号だねなどの談義になった。

野党のどなたかは「命令」の令とは!とご立腹とか。
「令」とは「令婦人」とか「ご令息」とか、他人を敬う時に使う字だそうですよ。
令は「命」の元の字であると白川静さんは書いておられます。
いいではないか。
神のご選択を受けるときの人の形という象形文字(儀礼用の帽子をかぶってひざまずいている様子)とも。

こんなことにまで難癖をつけるとは、何と心の狭いこと。

ちなみに私の玲子の「玲」は、玉の音(鈴からきたらしい)です。
弱く生まれて生きられないかもしれないと言われた私に、父がつけてくれた名だと聞いています。

先日、とても元気な方で頼りにしていた親類の女性が、99歳の母と96歳の父を残して逝きました。
人の命ははかない。

この玉の音の「玲」は死ぬまで人間を楽しみ、人間商売をお終いにするときまで、せめて92歳の義母に迷惑をかけないよう、ボチボチ「令和」を歩いていこうと思います。

桜の時季は花冷え、そして菜種梅雨もきます。

くれぐれもご自愛ください。

 
2019年04月24日 11:05

くすりのオーパ徒然「人生の僥倖」

お元気のことと存じます。

春分です。
季節の分かれ目、冬と春の間の季節ですね。
天候も不安定、体調も行きつ戻りつします。

八年前の三月、寒かったですね。
忘れることのできない自然の力と自分たちの無力を噛み締めた日でした。
それ以後、
「絆」という言葉が目につくようになりました。
なんとおなく押し付けがましく感じて馴染めずにいたので、改めて意味を調べてみようと白川静さんの「常用字解」を開いてみました。

「絆」という字が見つからず、仕方ないので旁の「半」で探してみる。

「半」はもともと生贄の牛をう二つに分けるの意、とある。
それを網(糸)でつなぐところからきているらしい。
ネットで検索してみると「牛を網でぐるぐる巻きにする事」とある。
そんなに縛られて自由にならないなんて「絆」って息苦しい!

では、広辞苑で調べてみる。
分厚く重い。開きにくい。それにしても字も小さい(一万数千円もした気がするが、そのためほとんど開いていないのだった)

そこには、断つのに忍びがたい思情、離れがたい情実、絆し(ほだし)等々。。

「ふ〜ん、情にほだされるとはここからくるのかな」
うちの娘達も断つのに忍びがたくて今ここにいるのか?と納得、したような。
まっ、情にほだされて一緒にいてもらっているとしても、日常の日々は穏やかで、一人暮らしの淋しさを覚えることもなく、幸せではある。

せっかくなので「幸」という字も次回で成り立ちを引いてみた。

「幸」とは刑罰の道具で両手にはめる手枷の形からきた、とある。
手枷の刑ほどの軽い罰で済んだなら、それは「僥倖である」という。
思いがけず、重い刑罰を免れたという意味らしい。

手枷なんかはめられたら、私ならブーブー不満を言うところを。「それですんで幸い」とはなんと前向きなことか。
「幸」という字が喜んでいるようです。

娘から「たくさん働いてお母さんの老後の面倒をみるから安心してね」などと涙の粒が二つ三つ溢れるようなことを言われても
「とっくに高齢で老後なんだけど、まだ働いてるよ」と憎まれ口をたたくのは「僥倖」噛み締めることのできない私ということか。

今年の春彼岸にも「お母さんいる?」という嫁からの電話に
「何の用?」というわたし。
「お墓まいりに行こうと思って」という健気な嫁に
「あっ!(また)忘れてた。。。出かけてる。おばあちゃん(私の姑)と墓まいりお願い1」という姑ヅラができるのも又幸せなことです。
人生の僥倖を手に入れた、ということでしょうか?

風に流されて雲が飛んで、隙間から青空が出てきた。
青空がある。

それだけで暖かい春はすぐそこ、と思ってしまいます。
とはいえ、まだ寒い日もあります。
どうぞご自愛ください。
 
2019年03月26日 14:10

くすりのオーパ徒然「雛人形」

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お元気でしょうか。
雪が消えて、いつもの年より早い春の様子です。
もうすぐ3月ですが、陰暦ではまだ一月。
数十年でこの気候の変わり様に「暖かくて良いね」などといっていると「ボーッと生きてんじゃないよ!」とチコちゃんに叱られそうです。

長女の生まれた四十数年前はビリビリと寒くて手がかじかんで、春は来るのかとほんとうに待ち遠しかったものです。(この頃やたらと昔を思い出す!ヤバイかしら)
あの頃は二月は「ひな祭り」のため「「おひな様」を飾らなくてはならない。
反射ストーブひとつの部屋で冷たい七段飾りをこしらええるのはとても憂鬱なことこの上ない。
腿の間で手を温めつつ、一段ずつ、一部屋占領するひな飾り。

娘が嫁に行くときに「きめ込み人形」をもたせたいとひそかに思っている嫁と、孫を喜ばせたいと七段をと思うジイジとバアバ。
お嫁のひそかな希は、ある日届いた大きな箱でチョン。
それから毎年、二月の寒い時の飾り付けは辛かったなあ。
次女が生まれた時は飾るところもなく、その後ズーッとおひな様は箱の中。
長女にはこの七段飾りを、じじょにはきめ込みをもたせて〜♩という期待も虚しく、二人とも家が居心地良いとドッカリ腰を落ちつかせている。

そのおひな様を、今年思いついて飾ることにした。
箱の何年も入れられて、うす暗く寒いところはしんどいだろうと取り出す。
お顔を包んだ紙をとってみると「ウ〜ン、なかなか良いお顔ではないですか。」
せめて男雛と女雛を飾ろう。

3月3日にはまた箱にお戻り頂き、娘に持たせて嫁に出すことをひそかに願うが、きっと二人の箱入り娘達はここを「居心地いい〜」と言うのだろう。
「ま、いいか」倖せならば(にしも早めにしまおう)

オーパの様々な出来事を箱の中から見ていたかもしれない人形達は、店の正面に鎮座して、なかなか風情もある。
わたしの楽しみとして、毎年飾ろうかとながめています。

梅と桜と腿が一緒に咲きそうな今年。
暖かくても季節の変わり目は注意が必要です。

木の芽時になりますと「神経痛」「皮膚病」「アレルギー」「だるい」「のぼせる」「不眠」等、不調が出ます。
暖かい気を少しずつ身体に取り込むために、そろそろ活動的になりましょう。
身体が慣れてくると、正しい方に直っていきます。

また、こもった気をはらすのには苦味が欲しいのです。
「ふきのとう」「菜の花」等で解毒をし、無理のない範囲で動き出しましょう。




 
2019年02月25日 17:32

くすりのオーパ

〒023-0828
岩手県奥州市
水沢東大通り1-1-5

電話番号
0197-24-5439

営業時間 9:15〜19:00

定休日 日曜日・祝日

当店について

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